著者紹介 司馬遼太郎(しばりょうたろう)大正12(1923)年、大阪市に生れる。大阪外国語学校蒙古語科卒業。昭和35年、「梟の城」第42回直木賞受賞。41年、「竜馬がゆく」「国盗物語」菊池寛賞受賞。47年、「世に棲む日日」を中心にした作家活動で吉川英治文学賞受賞。51年、日本芸術院恩賜賞受賞。56年、日本芸術院会員。57年、「ひとびとの「音」読売文学賞受賞。58年、「歴史小説の革新」についての功績朝日賞受賞。59年、「街道をゆく南蛮のみち」で日本文学大賞受賞。62年、「ロシアについて読売文学賞受賞。63年、「韃靼疾風録」で大佛次郎賞受賞。平成3年、文化功労者。平成5年、文化勲章受章。著書に「司馬遼太郎全集」「司馬遼太郎対話選集」(文藝春秋)ほか多数がある。平成8(1996)年没。
太字作品や★★★★★が特におすすめです。
司馬遼太郎 坂の上の雲 第1巻 ★★★★★
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明治維新をとげ、近代国家の仲間入りをした日本は、息せき切って先進国に追いつこうとしていた。この時期を生きた四国松山出身の三人の男達─日露戦争においてコサック騎兵を破った秋山好古、日本海海戦の参謀秋山真之兄弟と文学の世界に巨大な足跡を遺した正岡子規を中心に、昂揚の時代・明治の群像を描く長篇小説全八冊
帯、カバー、裏表紙等から引用
タイトル | 発表 | 感想 |
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坂の上の雲 第1巻 | 1978 | 日本史の転換点になった日露戦争をダイナミックに描く。明治の人たちはスケールが大きい。 |
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戦争が勃発した……。世界を吹き荒れる帝国主義の嵐は、維新からわずか二十数年の小国を根底からゆさぶり、日本は朝鮮をめぐって大国「清」と交戦状態に突入する。陸軍少佐秋山好古は騎兵を率い、海軍少尉真之も洋上に出撃した。一方正岡子規は胸を病みながらも近代短歌・俳句を確立しようと、旧弊な勢力との対決を決意する。
帯、カバー、裏表紙等から引用
タイトル | 発表 | 感想 |
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坂の上の雲 第2巻 | 1978 | 文系の偉人として登場する正岡子規は、どうも邪魔にしか思えない。 |
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日清戦争から十年—じりじりと南下する巨大な軍事国家ロシアの脅威に、日本は恐れおののいた。「戦争はありえない。なぜならば私が欲しないから」とロシア皇帝ニコライ二世はいった。しかし、両国の激突はもはや避けえない。病の床で数々の偉業をなしとげた正岡子規は戦争の足音を聞きつつ燃えつきるようにして、逝った。
帯、カバー、裏表紙等から引用
タイトル | 発表 | 感想 |
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坂の上の雲 第3巻 | 1978 | 小国だった日本だが、同盟、インテリジェンス、和平のタイミングがすべて上手くハマって、勝利できたのは奇跡的だ。 |
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明治三十七年二月、日露は戦端を開いた。豊富な兵力を持つ大国に挑んだ、戦費もろくに調達できぬ小国……。少将秋山好古の属する第二軍は遼東半島に上陸した直後から、苦戦の連続であった。また連合艦隊の参謀少佐真之も堅い砲台群でよろわれた旅順港に潜む敵艦隊に苦慮を重ねる。緒戦から予断を許さない状況が現出した。
帯、カバー、裏表紙等から引用
タイトル | 発表 | 感想 |
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坂の上の雲 第4巻 | 1978 | 乃木将軍については、勝利に導いたけれども、多大な犠牲を出し、殉死までして、それほど偉大とは思わない。 |
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強靱な旅順要塞の攻撃を担当した第三軍は、鉄壁を正面から攻めておびただしい血を流しつづけた。一方、ロシアの大艦隊が、東洋に向かってヨーロッパを発した。これが日本近海に姿を現わせば、いま旅順港深く息をひそめている敵艦隊も再び勢いをえるだろう。それはこの国の滅亡を意味する。が、要塞は依然として陥ちない。
帯、カバー、裏表紙等から引用
タイトル | 発表 | 感想 |
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坂の上の雲 第5巻 | 1978 | 著者の脚色はあるとはいえ、無名のヒーローたちがこんなに多かったのか。 |
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作戦の転換が効を奏して、旅順は陥落した。だが兵力の消耗は日々深刻であった。北で警鐘が鳴る。満州の野でかろうじて持ちこたえ冬ごもりしている日本軍に対し、凍てつく大地を轟かせ、ロシアの攻勢が始まった。左翼を守備する秋山好古支隊に巨大な圧力がのしかかった。やせ細った防御陣地は蹂躙され、壊滅の危機が迫った。
帯、カバー、裏表紙等から引用
タイトル | 発表 | 感想 |
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坂の上の雲 第6巻 | 1978 | 陸上での海上でも、本当に辛勝でした。 |
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各地の会戦できわどい勝利を得はしたものの、日本の戦闘能力は目にみえて衰えていった。補充すべき兵は底をついている。そのとぼしい兵力をかき集めて、ロシア軍が腰をすえる奉天を包囲撃滅しようと、日本軍は捨て身の大攻勢に転じた。だが、果然、逆襲されて日本軍は処々で寸断され、時には敗走するという苦況に陥った。
帯、カバー、裏表紙等から引用
タイトル | 発表 | 感想 |
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坂の上の雲 第7巻 | 1978 | そうせざるを得なかったとはいえ、若い人たちが、もう身分の縛りもなく、自由に能力を発揮しているのは羨ましい。 |
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本日天気晴朗ナレドモ浪高シ
帯、カバー、裏表紙等から引用
明治三十八年五月二十七日早朝、日本海の濛気の中にロシア帝国の威信をかけたバルチック大艦隊がついにその姿を現わした。国家の命運を背負って戦艦三笠を先頭に迎撃に向かう連合艦隊。大海戦の火蓋が今切られようとしている。感動の完結篇。解説・島田謹二巻末に「あとがき集」他を収む。
タイトル | 発表 | 感想 |
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坂の上の雲 第8巻 | 1978 | この作品も、元気のない時に一気に読むと、何かが変わるのでおススメ。 |
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